山木幸三郎先生との出会い

1971年度の出来事

それは、今から43年前の春に遡ります。

場所は、一口坂に向かう道路の法政大学市ヶ谷より出入口前の喫茶店「フジランド」から始まります。

この年の第5回全日本ライトミュージックコンテスト東京都大会の参加要項が発表され、コンテスト参加条件の一つに、オリジナル曲が必要と記載され困惑したことを思い出します。

その時に購読していたスイングジャーナルの別冊付録に、芸能界紳士録がありました。この索引の「や行」に山木幸三郎の名を発見、住所;東京都・・・、電話;03-・・・-・・・・と記されていました。

当時のコンマス鈴木秀明と相談の上、恐る恐る「フジランド」のピンクの公衆電話から電話したことを、昨日のように思い出します。山木先生とは、何のかかわりのない私に対し、包み込むような優しい声で、「わかりました、細かい話は我が家で伺いましょう」と即決でご承諾いただきましたこと本当にありがたかったです。(これまでの方とは大違いの対応でした。)

その後、お酒を召し上がる確認もせず、一升瓶を下げて山木宅へおじゃましたことも昨日のように思い出します。

その後、コンテスト前に法政大学62年館地下ホールでの練習に参加して頂きました。練習終了後、市ヶ谷駅とSONYビルとの間あたりの飲み屋で、お疲れ様会をして盛り上がったこと、法政大学を母校のように感じてくれたこと、歳の差こそありましたが良き先輩として接してくれたこと、ここから音楽を通じてお酒までのご縁が始まったのでした。

山木幸三郎先生様、あれから、43年、私も仕事から卒業する年齢までN.O.S.を導き頂き本当にありがとうございます。感謝、感謝以外何もございません、お体ご自愛頂き、益々のご活躍をお祈り申し上げます。

1971年度卒 第11期バンドマスター 伊藤 梅男(ds)