「至上の愛」ができるまで
[1974年度の出来事]
山木さんとの出会いは私が1年生で山木さんによる初のオリジナル曲「アロング・ウィズ・ブルース」の演奏でした。今から思うとこの長編のブルースはまさしくブルースの組曲のように思います。
翌年はコルトレーンの「ジャイアント・ステップス」「ネイマ」のオリジナル・アレンジの演奏です。大変難しい譜面ですがチャレンジでした。その翌年からコンサート・マスターになり、基礎を作るためにベイシーを中心とした曲で練習をしたもののオリジナル譜面を演奏したくて「処女航海、サンフラワー、ストールン・モーメンツ」など(写真)コンボ曲を山木さんにアレンジして頂きました。
翌年、山野楽器が初めてのコンテストを催す事になり、コンテストに臨むのであれば何か大きなテーマで臨みたいと言うのが考えでした。
コルトレーンの流れから浮かんだのが「至上の愛」でした。しかし、余りにも大きなテーマであるため1枚の作品から果たして演奏出来るのかと思ったものです。しかも踏み入れてはならない聖地のような名作です。しかし下地は十分にありました。それは2年前のコルトレーン作品のオリジナル編曲の演奏実績です。
いきなり演奏出来る訳ではないので長時間の演奏に耐えるための精神力と集中力を養わなければなりません。そこで思い浮かんだのが高校生の時にNHKのTV番組で観たバディ・リッチの「ウエストサイド物語」でした。余りにも鮮烈で上京してこの「ウエストサイド物語」を演奏したいと思ったものです。この他、当時マイルス&ギル・エヴァンスの「ポギー&ベス」の組曲にも大きな衝撃を受けていました。
これらの事が脳裏にあり春合宿でこの「ウエストサイド物語」を練習したのですがメンバーが今まで演奏していた曲が短く感じると言い始めたのです。これで下地が出来たと確信しました。
これからが大変です。山木さんには恐ろしくてどのように話せばよいのか考えたものです。しかし山木さん部屋で「至上の愛」のLPジャケット(写真)は見せずに何も言えずアナログ・レコードだけを出して「これなんですが」のお願いです。山木さんは盤も見ずにターンテーブルに乗せ4パートの各部分を次から次へとまるで医者が患者に聴診器を当てて聴くように手短に聴きました。答えは一言、ちょっと考えさせてくれでした。数年後にお聞きするとあの時は本当に困ったと思ったそうです。でも山木さんは冷静でした。私は発表はしませんので練習だけでも良いのでお願いします、と言って帰ってきました。
1ヶ月後に出来たよという連絡がバンマスに入り翌日、何を言われるかと思いながら恐る恐る受取りに伺いました。
スコアが出来たのが5月下旬でした。1ヶ月間の練習で仕上げて山木さんには何も断りを入れずに7月1日の六大学コンサートで発表しました。もう誰にも止められない勢いと言うしかありませんでした。これがビッグバンドによる世界で初めての「至上の愛」の演奏となりました。
スコアには書かれてはいませんでしたが練習を重ねている内に楽器のドラの音が欲しくなり東京理科大から借りて要所に使いました。
六大学のプログラムの演奏曲は「サンフラワー、処女航海、ストールン・モーメンツ」が印刷されていました。これは当日のインパクトを強くするためにあえてこのような楽曲を提出していました。これは戦略でした。
マネージャーが照明はどうするんですかと聞いて来ましたが当日、事前にシートを出すしソロは前に出ていくので分るだろうし、相手は照明のプロだし演奏状況で判断できるだろうと思う。それよりもインパクトが大事だと思いました。
この日は全国一斉、入社試験の日で時間がなくリハーサルは出来なくてそのまま本番での発表でした。リハーサルをしなかったためにマネージャーは他の大学からニューオレは逃げたのかと言われたそうです。
司会者は行田よしお氏(写真)で演奏曲を知って興奮のあまり「本日、会場に来られた皆様方は大変幸運な方々です。何と今日、世界で初めて「至上の愛」がビッグバンドで演奏されます」と言った時には会場からどよめきが起こりました。聴衆はこの時、初めて演奏曲目を知ったのです。
全ての演奏が終わった直後は静寂が会場を包み込み、拍手もまばら--- その後割れるような拍手に包まれたのを鮮明に覚えています。
ニューオレの後はハイソの演奏でしたが入れ代わりの時のハイソのメンバーの表情はうなだれていました。これがとても印象的でした。
この時の音源はCDとして残っています。
この年は4年生のメンバーが多く優秀なアドリブ・プレーヤーが多く在籍しており、優勝を目指して一丸となって取り組みました。とにかく「至上の愛」はコルトレーンの作品1枚のみでこれ以外は山木さんのスコアーに基づきメンバー全員での創作となります。これまでの音楽的知識、経験と練習で全員での総意創作となりました。
やはり大きなテーマが出来ると周囲が騒がしくなります。夏合宿の後、リードTPの茅野君のご両親が是非、新潟でこの「至上の愛」を聴かせて下さいとの要望があり、この経費のサポートもあり新潟市公会堂で無料コンサートを開催することができました(写真)。翌日は有名ジャズクラブのママでも演奏しました。この時、聴いていた新潟大学医学部のジャズ研究会のメンバーが「やっぱり東京のジャズは違う」と言っていたとママのマスターの言葉が印象的でした。この新潟での公演の他、音楽大学の学祭にも招待されるなど数多くのステージがありました。
この後、山野ビッグ・バンド・コンテストは9月にありましたが慶応ライトは普通の楽曲では太刀打ちできないと思ったのか急遽「くるみ割り人形」の組曲で出場してきました。ハイソは恐れをなしてかこの年は出場してきませんでした。
山野コンテストで4部門の賞を受賞しましたが演奏が終わった瞬間、審査員の中のスイングジャーナル社の児山編集長だけがいきなり立ち上がり拍手をしていたそうです。スイングジャーナル社賞を頂きましたが私は最も価値ある賞だと思っています。
(※注 この時の山野ビッグバンドコンテストについては、『スイングジャーナル』誌の1974年11月号に特集されています。)
日本のジョニー・ホッジスと言われている五十嵐明要氏がタイプの違うコルトレーンの組曲を演奏したニューオレを一番評価してくれた事が大変嬉しく思いました。審査員の方々はプロのビッグバンドが出来ないような曲を演奏することに大変驚いたことでしょう。
この演奏により、優秀賞、スイングジャーナル社賞、最優秀個人賞、優秀個人賞の4部門の最多受賞の結果となりました。山野ビッグ・バンド・コンテストの45年の歴史の中でこの大量受賞の記録は破られていません。
この後5年間、山野コンテストでは司会者がニューオレの演奏の前にこの「至上の愛」の事を言い続けたそうです。当時はそれ程インパクトがあった出来事だったかも知れません。
このような縁からSJ誌の児山編集長にリサイタルのプログラムに寄稿をして頂きプログラムやポスター用にコルトレーンの写真をお借りして作成しました(写真左:チケット、写真右:プログラム)。ポスターを市ヶ谷の駅に広告として張り出したところ直ぐに盗みとられてしまったこともありました。
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リサイタルは有楽町の読売ホールでしたが満員御礼の立ち見が出る公演となり、大きなテーマの基に部員全員の宣伝と創作の結集が生んだ成果だと思いました。リサイタルではこの他、コルトレーンのインプレッションズも山木さんのオリジナル編曲で演奏しました。
SJ誌の児山編集長はコルトレーン作品の演奏が印象が深かったのか児山氏の提案でこの後、宮間利之とニューハードOrchで「ジャイアント・ステップス」「ネイマ」「インプレッションズ」「至上の愛」で「オーケストレーン」というタイトルのアルバム(写真)で発表されています。このタイトルはオーケストラとコルトレーンを合わせた造語のタイトルです。この年のスイングジャーナル社主催のジャズ・ディスク大賞の制作企画賞を受賞しています。
このレコード企画を知った宮間利之氏は、山木さんに「どうしてこんな凄い曲を学生バンドに書いているんだ」と言ったそうですが、山木さんは「頼まれたから書いた」と言ったそうです。
この他、ネイマのスコアを楽屋で書いていた時、メンバーのテナーサックス奏者が、「えッ!パパ、これニューハードが演るの!?」と聞かれたので山木さんは「ニューハードが出来る訳ないよ、学生バンドだよ」と返したそうです。
これらは全てニューオレの先輩、メンバーが成し遂げた成果が繋がった事だと思います。
折しも今年は「至上の愛」が発表されてから50周年の年になるのも偶然でしょうか。
至上の愛 A Love Supreme
- PART 1:承認 ACKNOWLEDGEMENT
- PART 2:決意 RESOLUTION
- PART 3:追求 PURSUANCE
- PART 4:賛美 PSAIM
演奏:法政大学 ニューオレンジ スウィング オーケストラ
HOSEI UNIVERSITY NEW ORANGE SWING ORCHESTRA
編曲:山木幸三郎
1974年7月1日
会場 浜松町 郵便貯金ホール
Sax:尾木隆(As),鈴木義明(As),高見沢洋(Ts),吉川伸幸(Ts),多田忠蔵(Bs)
Trb:佐藤英明,前崎行弘,桜井肇,小山田賢二
Trp:茅野与志樹,加藤和親,寺田光治,高田郁生
Rhythm:橋本善樹(Gt),菅原道康(Bs),藤川裕(Ds),小暮利明(Pf)
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スイングジャーナル誌の記事
第9回東京6大学ビッグ・バンド・コンサート
メイナード・ファーガソンとの合同コンサートを開くなど、相変わらず活発な活動を続ける学生フル・バンドによる大学ビッグ・バンド・コンサートが、うっとうしい梅雨雫の続く7月13日夜、日比谷公会堂で開かれた。メンバー交代の激しい学生バンドにとって、この時期のコンサートは非常に難しいと思われるが、さすがにいずれも長い伝統をもつバンドだけあって、楽しい演奏を聞かせてくれた。中でも特記できるのは、なんとジョン・コルトレーンの<至上の愛>を取り上げてみせた、法政大学のニュー・オレンジ・スイング・オーケストラだろう。このバンドは以前から山木幸三郎氏のオリジナル・アレンジを演奏したりしていたが、今回のも山木氏のアレンジによるもので、しかも、MCによると、ウソかマコトか<至上の愛>をフルバンドが演奏するのは世界でも初めてだそうで、その意欲は高く評価されていい。演奏を聴いた感想は、意欲もさることながら、技量の方もなかなかたいしたものであった。特に、バンド全体のリズムが非常に安定しているに驚いたし、かなり多かったソロ・パートも充実したものであった。リード・アルトのソロなどは、少々ハッタリ臭かったけれど、その音色と馬力は今後が楽しみである。ただ、これは好みの問題であろうが、アレンジの中でリズム的にいわゆるフル・バンドらしすぎるところがあって、サド=メル・オーケストラのごとき「うなり」に慣れた耳には少し軽すぎる感じがした。その点でリズム・セクション、特にドラムスがもっとドライブ感を出してくれたらと思ったが、まあこれは酷というものだろう。なにはともあれ、オリジナル・スコアをここまで聞かせたのは立派で、12月にあるというリサイタルが楽しみである。
コンサートは学生バンド界の老舗、慶応大学ライト・ミュージック・ソサエティから始まった。今回のライトは、ファーガソン風の8ビート中心に、アンサンブル主体の演奏を聞かせた。特別目立ったところはなかったが、安定したリズムはさすがであり、中でもベーシストの趣味の良さが光った。明治大学ビッグ・サウンズ・ソサエティは、いいバンドだと思うが、今回は全体のリズムがちぐはぐで乗り切れなかった。リード・アルトがアート・ペッパー風な素晴らしいソロを聞かせていた。慶応大学のもう一つのバンド、KMPニュー・サウンズ・オーケストラは、サド=メル、カウント・ベイシー物などをやったが、全体にりきみすぎてバランスがくずれがちだった。細かな乗りと強弱を研究したら、良くなりそう。中央大学のスイング・クリスタル・オーケストラは、前のバンドとは対称的に弱々しく、小手先でやっている感じ。これは単に音量とかの関係ではなしに、ビート感のない、リズム的な問題が大きいと思われる。前のバンドと同じ注文をつけたい。早稲田大学のハイソサエティ・オーケストラは、個人的に優れたプレイヤーが多く、リード・トロンボーン、4番テナーのソロなどは秀逸であった。また、リズム・セクションも一番モダンであった。最後の日本大学リズム・ソサエティ・オーケストラは、いわゆるジャズ的難曲こそやらなかったが、安定したリズムと正確な音で大変楽しく聞けた。このバンドは他とは一風変わっていて、ラテン・バンド風な色彩を強く出しており、今回もトランペット・セクションの充実ぶりなど、さすがと聞いた。目立ったところでは、リード・アルトのエキサイティングなプレイと、フレディ・ハバード風なトランペットのソロが印象に残った。
全体を通した感想として、各バンドに必ず何人か個人的に優れたプレイヤーがいたことと、オリジナルなソロ・プレイをするものが増えたことが目立った。これは全く喜ばしいことで、豊かな知識と恵まれた技術をもつプレイヤーの存在は、バンド全体を確実に進歩させるであろうし、彼らが真剣に楽器と苦闘している姿を想像するだけで楽しい。
リポーター=明治大学学生バンドOB 町幸男
『スイング・ジャーナル』1974年9月号、284頁。
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